【連載】鈴木由美子の図書館エッセイ②

―本と読書、民主主義、ジェンダーのことなど気ままに書いていきます―

2.区立小学校「図書の時間」はホラーの世界だった

小学校3年生になった娘の時間割表に、図書の時間が加わりました。1980年代半ばのことです。中野区立のこの小学校では、1年生と2年生の間は学級文庫しか使えず、学校図書室を利用する資格は3年生から得られるのでした。

ところが図書の時間があった日は、娘が疲れた顔をしていることに気づきました。

聞いてみると、図書の時間は整列から始まるのだと言います。

まず教室前の廊下に身長順に並び、図書室へ行進する。

図書室に入ると50音順の出席番号が付いた「代本板」があり、それを取って決められた席につく。全員声を揃えて先生に挨拶したのち、本棚の前に行き、1冊を選んで、抜いた場所には代本板をさし、席で静かに読み始める。

本を選ぶのに手間取っている子には、早く、早く!の声がかかる。あの本、この本を手に取り迷ってばかりいた男子2人は、教室に戻って反省するように言い渡され、図書室を追い出された。2人は「すごく悲しそうな顔をしていたよ」とのこと。

さて一度選んだ本は、読み終えない限り、取りかえてはいけない。そして終了のチャイムと共にサッと読みかけの本を閉じ、代本板の場所へ片付ける。おまけに3年生になった最初の1ヵ月は貸出しを受けられず、続きを家で読むことはできない・・・。

この話を聞き、子どもを本嫌い&図書館嫌いにする目的ならば、実に見事な指導法だと思いました。管理教育は、管理読書を生み出していたのです。

私は「図書館雑誌」の“窓”というコラムに「学校で読書は生きられるか」と題して図書の時間の実態を書きました。公共図書館で私が働いたのは20代の短期間に過ぎませんが、退職後も日本図書館協会、図書館問題研究会の会員を続けていて、市民の側から、図書館について寄稿する場所を持っていました。

このコラムは反響があり、いろんな人が感想を言ってくれました。なかでも、大学で図書館学を講義していた後藤暢さんは、私のコラムを教材の一つにして、使い続けてくださったのです。お会いするたびに、後藤さんが学生の反応を話してくれました。学生達は、驚き、あきれ、笑いながら、子どもの読書と図書館について考えたようです。

図書館界のネットワークは素晴らしい。我が家にはつらかった体験も、よりよい未来につなげる教育へと転換していったのでした。

幸い、娘たちの読書環境は学校図書室だけではありませんでした。

すぐ近くに区立本町図書館があり、子どもたちもそこに登録して、小学校に入学する前から利用することが可能でした。我が家も家族全員が登録し、その町に住んでいた15年間で数千冊を借り出したヘビーユーザーでした。

娘の小学校時代はバブルと重なっていて、本好きの家庭では、子どもが欲しがった本は買ってあげるのが当たり前の時代でした。

周りにいる大人の意識次第で、学校教育の質にかかわらず、読むこと、調べることが習慣化した子どもたちが育ったのかなと思うのです。

今も私は中野区民ですが、別の地域で暮らしています。最近、久しぶりにあの小学校近辺に行く機会がありました。娘が卒業した小学校は、統廃合により消え去っていました。家族で通い詰めた区立本町図書館も、古い2館を廃止して、新館を1つ開館する政策により消滅しました。

図書館をめぐる悩みは、生きている限り、どこまでも続いていきます。