第2回 図書館のしゃべり場~大阪の隆祥館書店の二村知子さんの報告を聞いて~のご案内

今回、『13坪の本屋の奇跡』(木村元彦著)の主人公である、大阪の隆祥館書店の二村知子さんがリモート
で参加されます。出版流通の問題点、商業主義や市場化に対して、いかに闘い、文化のインフラとしての書店
を守っているのか等、図書館がどのように見えているかも交えてお聞きしたいと思います。

現在、地元書店の減少は社会的な問題となっています。「読書」をとおした地域の文化を担う拠点として、
図書館との連携も模索されています。

書店が消えていく現状を変えるために、何が必要かを探るシンポジウムです。

日時・場所

  • 日時: 2025年3月8日(土)13:30-16:30(開場13:20・入場無料)
  • 会場:日比谷図書文化館地下ホール 所在地:千代田区日比谷公園1-4(地図
  • 最寄駅:日比谷線「霞ヶ関駅B2出口」/都営三田線「内幸町駅A7出口」

プログラム

第1部

シンポジウム「街の書店の現状と問題点/文化のインフラとしての書店を存続させるために」

  • 二村知子氏 (リモート参加/隆祥館書店社長)
  • 清田義昭氏(元出版ニュース社代表)
  • 鈴木由美子氏(中野の図書館を考える会)
  • 森下芳則氏(元田原市図書館長)
  • 田中伸哉氏(元白河市立図書館長)        
第2部

会場からの発言を交えての自由討論

申込み方法

  • 会場参加:先着200名
  • オンライン視聴:先着50名

※定員に達し次第申込み受付を終了します

【ご注意】申込みフォームから送信すると、自動返信メールにて申込み控えが届きます。1日たっても申込み控えが届かない場合は、その他のお問い合わせからお知らせください。迷惑メールに振り分けられている可能性もあります。お見逃しのないようご注意ください。よろしくお願いいたします。

主催:東京の図書館をもっとよくする会

本の紹介:「黒塗り公文書」の闇を暴く

 本書は,「和歌山市民図書館」の新規移転開館における「CCCとの指定管理者選定疑惑」を柱に,「コモンの収奪」とも言える黒塗り事例も複数レポートされている。私たちの近傍でも,最近話題の「葛西臨海公園の改築」や「明治神宮外苑再開発」の事例も取り上げられている。
 また,都立高校の学校図書館の民間委託が,「ファミリー企業独占」という異常な形で進められていき頓挫した事例も詳述されている。
 開示請求や不服申立ての手続きにも触れられており,筆者がこれまで培ってきた実際の経験を知ることができ,今まで手続きを縁遠く感じていた人たちの第一歩になるのではないかと感じる。
 国会の勢力が一極集中し,「モリカケ問題」,「桜を見る会」などに関わる公文書が真実を語る力を封じられ,「閣議決定」の乱発,「官邸主導」による立憲主義の破壊は,行きつくところまで進んでいる。「官僚の忖度」,「天下り」という「官民癒着」の構造を生み「公」の倫理観や道徳的節度の欠如は,影響が広く地方自治体にも及んでいる中で,ニュースになるような大きな事件も起きている。
 公立図書館は「日本国憲法」の三大原理の中で「基本的人権の尊重」の屋台骨を担っている。また地方自治を根付かせていく存在である事も期待されている。地方自治体という限られたコミュニティで「当該市」のような事件がおきたら,住民は分断されないだろうか。公立図書館の存在は一体どうなってしまうのだろう。
 庶民のなけなしの収入から収める税金。本来的に考えられない使い方を独断で決定し,その経過も隠蔽され,益々富は「富める者」に集中し…,根っこの仕組みは同じである。その地域の図書館は一部の権力者のアクセサリーなのか。
 事件当事者とも言える関係者に対する,筆者の地道で丹念な取材にも驚き,頭が下がる。自分だったら逃げ出したくなるに違いない。
 「おわりに」まで読み進んで,少し光が見えたような気がしたのは,攻防の結果だけでなく,当事者への「強い共感や愛」が感じられたからだと思う。
 真実を希求する住民が,知りたいことの「情報開示」を役所に求めていく攻防を描くなかで,あらためて「公立図書館の管理運営と働く人」について考えさせられた。読み出すと止まれない迫真のルポルタージュである。

【連載】鈴木由美子の図書館エッセイ③

―――本と読書、民主主義、ジェンダーのことなど気ままに書いていきますーーー

3.中学1年、最高の学校図書館を利用できた日々

 『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)がアニメになると聞いた時、中学1年の時に学校図書館で借りた記憶が甦りました。「粉ミルクの秘密」 「油揚げを揚げる同級生」 「ガンダーラの仏像」など、この本を読んだ人なら忘れられない箇所がいくつもあるはずです。

この本を借りた場所は、私の経験した中で最高の学校図書館であったことも思い出しました。私は親の事情で何度も転校して育ち、小学校は4校、中学校は2校に通いました。その中で一番良い学校図書館があったのは、中学1年生の時期だけを過ごした兵庫県西宮市の中学校です。

まだ1960年代前半であったにも関わらず、その学校図書館は、本がものすごく多かった。広い部屋に何列も書架が並んでいる。大人と同じ文学全集、歴史書、科学書、百科事典、図鑑、画集が一杯。

クラス全員で同じ本を読めるように、55冊ほどのセットが各学年3タイトル、計9タイトル分揃えてある本棚もあります。こっちは中学生向きの物語や人生論でした。

いつも大勢の生徒が出入りし、貸出しカウンターには行列ができることもありました。カウンターに同じ先生がおられたので、図書館専任の人を配置していたのでしょう。生徒達は何やかやと図書館の先生に話しかけていました。図書館だからといって沈黙を強いる空間ではなく、おしゃべりしながら本を探す声や、調べ物をしているグループの声が聞こえます。

私はこの学校に通った1年間、いつも本を通学カバンに入れていました。本を返したら次の本を借りるという習慣を、この中学で身につけたのです。まさに「市民の図書館」の先取りでした。

ここで借りた沢山の本の中で、長く記憶に残った本が3冊あります。最初に書いた『君たちはどう生きるか』。モーパッサンの『女の一生』。そして下村湖人の『次郎物語』。

次郎物語は、厚い一冊に収録されていたので第5部まで読みました。第6部以降は作者の死で書かれなかったことを解説で知りました。成人した次郎が恩師と共に東京で私塾を育てたものの軍国主義の台頭でつぶされてしまうという第5部のストーリーを語りあえる人には、12歳のその時以後出会っていません。

また、この学校図書館は、授業と直結した調べ物学習を支えていました。校風として先生方が、生徒に自分で調べさせる教育を目指していたのだと思います。理科の宿題が出て、班単位で図書館に行き図鑑でリンゴやナシの品種を調べた記憶があります。

教科の中で、調べ物学習に一番熱心だったのは、意外にも保健体育の先生でした。アメリカで生まれたバレーボールの歴史を調べてこいという。バレーボールが他のスポーツと異なる特色を挙げろという。「ボール1つ、ロープ1本あればどこでもできる」」 「人数の増減ができる」」 「ルールが野球よりずっと簡単」 「技術的に特別な訓練は要らない」 「老若男女が一緒に楽しめる」 「上手な人と下手な人が混じっても大丈夫」等々、生徒の発言を聞いて黒板に書かれた文字が目に浮かびます。

生徒をよく図書館へ行かせ、調べ物をさせる別の先生は「ちゃんと調べてからモノを言え」と叱っていました。口の悪い先生でしたが、非常に大切なことを伝えてくれたように思えます。

21世紀に入ってからフィンランドの学力の高さが注目された時期がありました。学校の様子が報道されたのを見ると、やはり調べ物学習中心の教育でした。そして子どもも大人も、図書館の本を日本の3倍ほど借り出している国でした。

たった1年間しか通わず卒業もしなかったけれど、あの学校図書館のあった中学は、読んだり調べたりする暮らしの基礎を作ってくれた私の母校だと思えるのです。

私が体験したような、素晴らしい学校図書館が増えますように。そこで働く人が正当な待遇を受けますように。