【連載】鈴木由美子の図書館エッセイ③

―――本と読書、民主主義、ジェンダーのことなど気ままに書いていきますーーー

3.中学1年、最高の学校図書館を利用できた日々

 『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)がアニメになると聞いた時、中学1年の時に学校図書館で借りた記憶が甦りました。「粉ミルクの秘密」 「油揚げを揚げる同級生」 「ガンダーラの仏像」など、この本を読んだ人なら忘れられない箇所がいくつもあるはずです。

この本を借りた場所は、私の経験した中で最高の学校図書館であったことも思い出しました。私は親の事情で何度も転校して育ち、小学校は4校、中学校は2校に通いました。その中で一番良い学校図書館があったのは、中学1年生の時期だけを過ごした兵庫県西宮市の中学校です。

まだ1960年代前半であったにも関わらず、その学校図書館は、本がものすごく多かった。広い部屋に何列も書架が並んでいる。大人と同じ文学全集、歴史書、科学書、百科事典、図鑑、画集が一杯。

クラス全員で同じ本を読めるように、55冊ほどのセットが各学年3タイトル、計9タイトル分揃えてある本棚もあります。こっちは中学生向きの物語や人生論でした。

いつも大勢の生徒が出入りし、貸出しカウンターには行列ができることもありました。カウンターに同じ先生がおられたので、図書館専任の人を配置していたのでしょう。生徒達は何やかやと図書館の先生に話しかけていました。図書館だからといって沈黙を強いる空間ではなく、おしゃべりしながら本を探す声や、調べ物をしているグループの声が聞こえます。

私はこの学校に通った1年間、いつも本を通学カバンに入れていました。本を返したら次の本を借りるという習慣を、この中学で身につけたのです。まさに「市民の図書館」の先取りでした。

ここで借りた沢山の本の中で、長く記憶に残った本が3冊あります。最初に書いた『君たちはどう生きるか』。モーパッサンの『女の一生』。そして下村湖人の『次郎物語』。

次郎物語は、厚い一冊に収録されていたので第5部まで読みました。第6部以降は作者の死で書かれなかったことを解説で知りました。成人した次郎が恩師と共に東京で私塾を育てたものの軍国主義の台頭でつぶされてしまうという第5部のストーリーを語りあえる人には、12歳のその時以後出会っていません。

また、この学校図書館は、授業と直結した調べ物学習を支えていました。校風として先生方が、生徒に自分で調べさせる教育を目指していたのだと思います。理科の宿題が出て、班単位で図書館に行き図鑑でリンゴやナシの品種を調べた記憶があります。

教科の中で、調べ物学習に一番熱心だったのは、意外にも保健体育の先生でした。アメリカで生まれたバレーボールの歴史を調べてこいという。バレーボールが他のスポーツと異なる特色を挙げろという。「ボール1つ、ロープ1本あればどこでもできる」」 「人数の増減ができる」」 「ルールが野球よりずっと簡単」 「技術的に特別な訓練は要らない」 「老若男女が一緒に楽しめる」 「上手な人と下手な人が混じっても大丈夫」等々、生徒の発言を聞いて黒板に書かれた文字が目に浮かびます。

生徒をよく図書館へ行かせ、調べ物をさせる別の先生は「ちゃんと調べてからモノを言え」と叱っていました。口の悪い先生でしたが、非常に大切なことを伝えてくれたように思えます。

21世紀に入ってからフィンランドの学力の高さが注目された時期がありました。学校の様子が報道されたのを見ると、やはり調べ物学習中心の教育でした。そして子どもも大人も、図書館の本を日本の3倍ほど借り出している国でした。

たった1年間しか通わず卒業もしなかったけれど、あの学校図書館のあった中学は、読んだり調べたりする暮らしの基礎を作ってくれた私の母校だと思えるのです。

私が体験したような、素晴らしい学校図書館が増えますように。そこで働く人が正当な待遇を受けますように。

【連載】鈴木由美子の図書館エッセイ②

―本と読書、民主主義、ジェンダーのことなど気ままに書いていきます―

2.区立小学校「図書の時間」はホラーの世界だった

小学校3年生になった娘の時間割表に、図書の時間が加わりました。1980年代半ばのことです。中野区立のこの小学校では、1年生と2年生の間は学級文庫しか使えず、学校図書室を利用する資格は3年生から得られるのでした。

ところが図書の時間があった日は、娘が疲れた顔をしていることに気づきました。

聞いてみると、図書の時間は整列から始まるのだと言います。

まず教室前の廊下に身長順に並び、図書室へ行進する。

図書室に入ると50音順の出席番号が付いた「代本板」があり、それを取って決められた席につく。全員声を揃えて先生に挨拶したのち、本棚の前に行き、1冊を選んで、抜いた場所には代本板をさし、席で静かに読み始める。

本を選ぶのに手間取っている子には、早く、早く!の声がかかる。あの本、この本を手に取り迷ってばかりいた男子2人は、教室に戻って反省するように言い渡され、図書室を追い出された。2人は「すごく悲しそうな顔をしていたよ」とのこと。

さて一度選んだ本は、読み終えない限り、取りかえてはいけない。そして終了のチャイムと共にサッと読みかけの本を閉じ、代本板の場所へ片付ける。おまけに3年生になった最初の1ヵ月は貸出しを受けられず、続きを家で読むことはできない・・・。

この話を聞き、子どもを本嫌い&図書館嫌いにする目的ならば、実に見事な指導法だと思いました。管理教育は、管理読書を生み出していたのです。

私は「図書館雑誌」の“窓”というコラムに「学校で読書は生きられるか」と題して図書の時間の実態を書きました。公共図書館で私が働いたのは20代の短期間に過ぎませんが、退職後も日本図書館協会、図書館問題研究会の会員を続けていて、市民の側から、図書館について寄稿する場所を持っていました。

このコラムは反響があり、いろんな人が感想を言ってくれました。なかでも、大学で図書館学を講義していた後藤暢さんは、私のコラムを教材の一つにして、使い続けてくださったのです。お会いするたびに、後藤さんが学生の反応を話してくれました。学生達は、驚き、あきれ、笑いながら、子どもの読書と図書館について考えたようです。

図書館界のネットワークは素晴らしい。我が家にはつらかった体験も、よりよい未来につなげる教育へと転換していったのでした。

幸い、娘たちの読書環境は学校図書室だけではありませんでした。

すぐ近くに区立本町図書館があり、子どもたちもそこに登録して、小学校に入学する前から利用することが可能でした。我が家も家族全員が登録し、その町に住んでいた15年間で数千冊を借り出したヘビーユーザーでした。

娘の小学校時代はバブルと重なっていて、本好きの家庭では、子どもが欲しがった本は買ってあげるのが当たり前の時代でした。

周りにいる大人の意識次第で、学校教育の質にかかわらず、読むこと、調べることが習慣化した子どもたちが育ったのかなと思うのです。

今も私は中野区民ですが、別の地域で暮らしています。最近、久しぶりにあの小学校近辺に行く機会がありました。娘が卒業した小学校は、統廃合により消え去っていました。家族で通い詰めた区立本町図書館も、古い2館を廃止して、新館を1つ開館する政策により消滅しました。

図書館をめぐる悩みは、生きている限り、どこまでも続いていきます。

【連載】鈴木由美子の図書館エッセイ①

―本と読書、民主主義、ジェンダーのことなど気ままに書いていきます―

 

1.小学校図書室で読み始めた本を、60数年後に読み終えた話

コロナ禍によって、小さいとき途中まで読んだ物語と60年余りを経てめぐり会い、ようやく通読できた話を書きます。

当時私は8歳で小学3年生、図書の時間は、学校図書室で本を読むことになっていました。読み終えた瞬間にチャイムが鳴ればいいけれど、次の本を読み始めた最悪のタイミングで、キンコンカンコンの音が聞こえてきます。

時間が終われば本を棚に返して図書室を出され、翌週に他の子がその本を読んでいれば、続きを読むことは不可能です。新設校だから本は少なく、クラスの人数は55人以上が普通という時代でした。この図書室で本を借りた記憶もあるのですが、その年の担任は、貸出しをしない主義でした。

これではブツ切れになった物語が増えていくばかり。先がどうなるかわからないままにされた物語の一つは、「目の見えない少女が、玩具職人の父と暮らしている」話でした。

「作者は外国の人で‘デ’で始まる名前である」「題名には‘こおろぎ’とある」ことは記憶に残っていました。「二人の小さな家は、お金持ちのお屋敷の外壁にくっついた‘おでき’のように見えました」という表現も。人間が住む家を、おできに例えるのは、大げさじゃないかと思ったために、この本を忘れなかったのかもしれません。

その後、世界文学全集のディケンズの年譜で、タイトルは「炉端のこおろぎ」とわかったものの、特に探すでもなく歳月は流れていきました。

その一方、ディケンズの他の作品とは、縁の深い日々を過ごしてきました。『クリスマスキャロル』と『二都物語』は、中学時代に一部暗記するほど読みこんだものです。『デイビッド・コッパフィールド』『オリバー・ツイスト』は、のちに映画化作品も観ました。

さてコロナ感染が拡大してきた頃、私は自宅から離れた町に滞在していました。その自治体は、感染防止のため住民以外には公共施設を利用させない方針を打ち出したのです。私はアマゾンで検索しては新旧の本を買い続けました。ずっと旅行に行かなかったので、ポケットマネーが余っている気分でした。

そして偶然見つけたのが『炉辺のこほろぎ』(ディケンズ作 本多顕彰訳 岩波文庫)です。+

奥付に1935年第1刷発行、2018年第14刷発行とある。83年間もコンスタントに増刷し続けたわけはなく、最近復刻された版なのでした。

頁を開くと、旧漢字・旧仮名遣いですが、これは大丈夫。「寝臺」「鹽鮭」「鐵瓶」「變色」などをスラスラ読めるのは、大正生まれの親を持つ昭和の子どもの強みです。

困ったのは、文字が小さくて活版印刷だったことです。活字を1本ずつ組んで頁を作るため、濃い字と薄い字が混じり、時には字画の一部が欠けている。読みづらいので、読書用の拡大鏡を買いました。小型のカマボコのような透明の棒を置くと、Ⅰ行だけが大きく浮かび上がる。これは便利だと思いましたが、カマボコを次の行に移す動作が、読む速さに追いつかず、2頁でギブアップです。慣れれば裸眼で普通に読めるようになり、通読できました。

父と娘が住む小さな家を形容する言葉は、おできではなく、吹出物と訳されていました。吹出物のほうが、格調は高いかもしれません。

この物語には他の登場人物も多く、妻の不倫疑惑で苦しむ夫や、恋人は外国で死んだと思っている女性などがドラマを引き起こし、最後は『クリスマスキャロル』と同じく全員のハッピーエンドとなります。

はてさて、この物語を小学生向きに仕立てるには、どこを抜き出せばいいのか。玩具職人親子の話で始まっていたから、こういう風にストーリーを進めて、この部分で締めくくれば、起承転結をつけることができる。私の推測は多分当たっているはずですが、確かめようがありません。図書の時間が終了したチャイムと共に、あの本は消えました。

読みかけた本は、最後まで読みたかった。ランドセルに入れて持ち帰りたかった。小学校時代の思い出には、本を奪われるつらさがつきまとっています。

それから20数年を経て、今度は娘が学校図書室デビューをします。日本は豊かになり、バブル前夜まで来ていました。しかし娘が経験した図書の時間は、ホラー映画のような世界だったのです。その話は次回にお届けします。